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太平洋戦争と天気図、天気予報
 
 1941年12月7日(日本時間では8日)の日曜日の朝7時過ぎ、ハワイ・オワフ島では多くの軍人は週末の朝を楽しんでいました。一方、航空母艦赤城を旗艦とし、6隻の空母を従えた日本海軍の機動部隊は、現地時間の午前5時30分にホノルルから約230マイル北に来ていました。そこから飛び立った、淵田中佐を隊長とする第1次攻撃隊は、高度2,000m付近にある厚い雲の中や上を、パールハーバーに向けて飛行中で、海面を見ることはできませんでした。
 淵田隊長はパールハーバーにあと1時間ほどのところで、レシーバーを耳にしてラジオ方位探知機のスイッチを入れ、ダイアルを回すと、軽快なジャズが高い感度で入ってき、ホノルルの放送局からだと確信しました。そのうち朝の気象情報の番組に変わり、「オアフ島の天候は半晴で、山の上には雲がかかっているが、雲の底の高さは3,500フィート(約1,000m)、視程は良好で、北の風十節」と放送されました。淵田隊長は攻撃隊にとって好都合な気象情報だとわかり、最初の爆弾が午前7時55分に投下されました。
 このように気象情報や天気予報は重要な戦略情報です。日本では1941年12月8日(日本時間)から軍の命令でラジオから天気予報が放送されなくなりました。各地の気象台や測候所からの観測データは、すべて暗号にされて中央気象台に送られるようになりました。中央気象台から放送される気象電文もすべて暗号化されました。
 戦争中、日本人の生活は物資の不足でだんだんと大変になっていきましたが、天気は毎日変化します。台風や嵐もお構いなしにやってきます。そんな中、1942年8月27日に発達した台風が九州に上陸し、戦争中最大の被害をもたらしました。被害の中心は西日本です。さすがに台風のときは特別な情報が出るようになりましたが、この台風がきっかけです。
 終戦は1945年8月15日ですね。ラジオの天気予報番組の再開は8月22日で、東京から再開されました。今では当たり前のように、毎日ラジオで聞くことができる、テレビや携帯電話で見ることができる天気予報や気象情報は平和の象徴といえるでしょう。
 ところで、(図1)は1941年12月8日の天気図、(図2)は戦時中最大の被害をもたらした台風が九州上陸前の天気図(1942年8月27日)、(図3)は終戦の日の天気図、(図4)は兵庫県に大きな被害をもたらした阿久根台風が沖縄付近にある1945年10月9日の天気図(九州北部上陸は10月10日)、(図5)は現在の天気図です。

(図1)1941年12月8日の天気図

(図2)1942年8月27日の天気図

(図3)1945年8月15日の天気図

(図4)1945年10月9日の天気図

(図5)2008年7月10日の地上天気図
(以上、気象庁提供資料)

 (図1)の天気図から見ていくとその違いに気がついたでしょうか。戦争を開始したときの1941年の天気図よりも、1942年や終戦のときの天気図の方が、観測データの入っている地点数が多くなっています。特に中国大陸は顕著です。しかし、戦後すぐの天気図で天気記号が入っているのは日本だけです。現在の天気図は地図をびっしりと埋めるほど観測データは入っていませんが、データが入っている地点は各地域に分散しています。今でこそ世界各国で気象情報の交換が行われていますが、終戦後しばらくの間、海外からの観測情報、特に中国やシベリアからの情報を入手することができませんでした。当時、少ない情報で天気予報を行っていた気象関係者の苦労がしのばれます。


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