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連載エッセイ [51]
異常気象時代のサバイバル
吉野正敏

 
乾季と雨季の地下水汚染を通じて ― ネパール・テライ低地のヒ素汚染 ―
ネパール・テライ低地

 ネパールは日本の友好国である。美しい自然、心豊かな人びとが日本人を魅了する。ヒマラヤ山脈の山麓で、日本からの登山者や観光者も多い。しかし、今回の話はネパールの山岳地帯ではなく、インドとの国境に近いネパール中央部の海抜高度の低い農業地帯における集落のヒ素汚染の話である。この付近は米作を主とする2毛作地帯である。
 敬愛大学国際学部の中村圭三教授を代表とする研究グループは、2011年以来、ネパール中央部でインド国境に近いテライ低地における地下水によるヒ素汚染の研究を5年間行なった。このほど研究成果報告書1)が刊行されたので、これを参考にして紹介したい。
(図1)調査地域:ネパール中央南部のテライ低地におけるルンビニ県のナワルパラシ郡の1部の東西約6km、南北約10kmの範囲。コカプルワ(北東部のNo.4)、マフワ(中央東のNo.8)は2014年、他は2012年に、水質・聞き取りアンケート調査を行なった集落1)

 (図1)はテライ低地の位置と調査を行なった集落の分布を示す。後述するコカプルワはNo.4、マフワはNo.8の集落である。調査井戸数と住民からのアンケート数はコカプルワで7および6、マフワで3および6であった。全集落でそれぞれ100および116であった。この地域の北側には、海抜高度約150mから1,500mの高原状の台地が西北西から東南東方向に走る。ヒ素汚染が問題になるのはもちろん低地の部分である。ネパールというと海抜高度の高い地域のイメージを日本人は持ちがちだが、今回の話題は海抜高度が低い地域である。

ヒ素濃度の分布

 現地で採取した地下水を日本に持ち帰り、日本で測定した。(図2)(上)に2012年3月(乾季)におけるヒ素濃度の分布を示す。最高値はコカプルワ(No.4)(写真1)における1,048ppbであった。この井戸はその後、住民によってすぐに埋め戻された。

(写真1)ヒ素濃度最高値を記録したコカプルワの井戸、2009年9月1)

 この付近の集落の他の井戸でも500ppb以上の値が出ている。また、少し離れた集落の井戸でも300〜500ppbの値が出ており、この地域がテライ低地の中でも特に高濃度であることがわかる。

(図2)調査地域におけるヒ素濃度の分布1)
(上)乾季、2012年3月
(下)雨季、2012年8月

 (図2)(下)には2012年8月(雨季)のヒ素濃度の分布を示す。もっとも高い濃度はクナワール(No. 12)の529ppb、マフワ(No.8)の391ppbなどである。相対的に見るとほぼ東西にヒ素濃度の高い地下水帯が存在している。この地域の帯水層は5〜6mの浅層地下水(第1帯水層)、12〜24mの第2帯水層、30〜50mの第3帯水層に分類できる。ヒ素濃度は第1帯水層で10〜100ppb、第2帯水層で10〜1,000ppb、第3帯水層で0〜10ppb であると考えてよかろう。そして、乾季の地下水は、12〜24mの第2帯水層のものであることがわかった。つまり、地域差は取水している井戸(集落)の帯水層の局地性にも関係している。

乾季と雨季のヒ素濃度

 ヒ素濃度は乾季には雨季より高い。その関係を(図3)に示す。X軸に乾季のヒ素濃度を取り、Y軸に雨季のヒ素濃度を取り、各集落における井戸の地下水の測定値をプロットした。
(図3)乾季と雨季のヒ素濃度の関係1)

 相関係数は0.95で直線の回帰式は、Y = 0.88 X + 8.67 となる。すなわち、僅かではあるが、雨季の方が乾季より小さい値を取ることが統計的に有意である。雨季には地下水は降水によって希釈され、ヒ素濃度はきわめて僅かではあるが、低くなることが統計的にも示された。ただし、次のような検討が今後必要と思う。(1)この雨季と乾季の差を帯水層別(水深別)に検討すること、(2)解析した2012年3月(乾季)と8月(雨季)が、それぞれ平年(長年)の乾季・雨季の状態をどの程度よく代表しているか。(3)データは、濃度(度合い)で表現されている。もしヒ素の総量、乾季・雨季の期間合計で捉えるとどうなるのか。(4)地球温暖化で雨季・乾季の長短、極値が極端化の傾向にある。(図3)に示されている直線関係はやはり成り立つのか。
 このような課題はあるが、現状では、(図3)は重要な研究結果である。

ヒ素汚染と被害の実態

 井戸水のヒ素汚染が人間生活に及ぼす影響は大きい。1950年代にマラリアがほぼ撲滅され、それ以前はジャングルであったが開発され、農地化し、人口が増加した。テライ低地の標高の最低は約70mといわれ、平均して110〜120mである。
 テライ低地で利用されている井戸水の多くが水質基準を越えている。すなわち、日本、WHOの基準値は10 ppb、ネパールの基準値は50 ppb であるが、住民が日常利用し、飲用している水は、20〜30年前から普及してきた管井戸から揚水する水である。その汚染濃度は上述のように100〜300 ppbで、500 ppb を超えることもまれでない。これはヒ素の溶出が多い12〜21mの深さの帯水層の水を多く利用し、生で飲用するためである。
 このような水を飲み続けると、ヒ素中毒となり、皮膚に色素が沈着したり角化症状があらわれたりする。(写真2)、(写真3)はヒ素汚染の症状が現われた被害者の手の甲と手の平を示す。

(写真2)ヒ素被害者の手の甲、2012年3月1)
(写真3)ヒ素被害者の手の平、2007年9月1)

 こうした症状がさらに進行すると、癌になる危険性が高まる。2014年のアンケート調査によると、マフワ・コカプルワの2集落では生水でなく沸騰させて飲む人は全体の33.8%であった。
 井戸の周辺の排水情況・廃水処理などや、ヒ素除去のフィルターの利用など改善の方法はあるが、経済的な理由ばかりでなく、カースト制などまでかかわり、対策は簡単ではない。
 また、雨季に増水した河川下流域の洪水時におけるヒ素濃度、乾季にヒ素濃度が高くなった地下水の河川下流域における影響など、地形・地質構造にもよるであろうが、下流で国際問題を起さないのであろうか。河川で沐浴することは、人びとの精神活動を支える宗教行事であるから、対応を考えねばならない。サバイバル研究の重要な課題だと思う。

[文献]
1)中村圭三、2015:ネパール・テライ低地におけるヒ素汚染の実態とその対策に関する 研究。研究成果報告書、敬愛大学国際学部、135p.


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