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連載エッセイ [30]
暮らしの中のバイオクリマ
吉野正敏

 
風のシンポジゥム、50年
 
風の研究50年の歴史

 正式の名称は『風に関するシンポジゥム』という。1954年に第1回が開催された。今から59年前だから、そろそろ還暦を迎える。
 第2次大戦直後、すなわち1940年代後半、1950年代当初、激しいインフレと食料難で、研究者の日常生活もままならない状況であった。1950年代になって、次第に大学・研究機関もやっと機能し始めた。研究設備・予算等もほんの少しずつではあったが整備され始めた。
 1950年代初め、東京の冬はかなり冷えるが大学の研究室ではまだ小さなガスストーブしかなく、大学院生の部屋では暖房のない部屋もあり、厚いオーバーを着たままで机に向かっていた記憶がある。研究者自身がバイオクリマの研究対象であったわけである。

研究者が考えたこと

 研究者は戦時中から終戦直後の劣悪な研究環境を強いられたが、最も耐え難かったのは情報交換・成果の発表などがスムースに行えなかったことである。国際的には言うに及ばず国内でも非常に困難であった。学会誌すら紙の配給が十分でなく、満足に刊行できなかった。
 そこで研究者らがこれを克服するために考え付いたのが、シンポジゥムを開いて情報交換し、各自の分野の研究成果を共有し、正しい発展を目指すことであった。『風に関するシンポジゥム』の機運が急速に高まった。
 “言いだしっぺ”は、日本気象学会・日本農業気象学会・日本建築学会・日本航空学会・土木学会・日本火災学会の6学会であった。このシンポジゥムの企画は理工農学系の分野では特異なもので、成功したよい例である。当時、人文科学系では6学会(のち8学会)合同野外調査として、毎年文部省の科学研究費が付いたものがあったが、理工農学系では何も無かった。したがって、要旨集等は印刷刊行しない方針を決めていた。当番学会は持ち回りで、事務連絡と当日の会の運営にだけ責任を持つこととした。いま考えると、予算などの裏付けがなかったのが、かえって、60年間連続した理由の一つであろう。

50年の変遷

 2013年3月9日、『第58回風に関するシンポジゥム』で筆者は50年の変遷を述べる。そこで、その資料として、この50年間の『風に関するシンポジゥム』を支えた学協会の時代的変遷・その成果などを1954年から2012年までまとめたので、それを参考にしながら記述しておきたい。まず、全貌を(表1)に示す。

(表1)風に関するシンポジゥム参加学会数・学会名の変遷

年代* 学会数 参加学会名**(順不同)

1954年―1956年 6 気象・農業気象・建築・航空・土木・火災
1957年―1970年代 8−10 上記の他、地震・海洋・地理・林
1980年代―1990年代 10−11 上記の他、(機械)・風工
2001年以降 17−19 上記の他、水文水資・大気環境・砂丘・沙漠・植物工場・熱帯農学・農業施設・農業土木・雪氷・生物調節・気候影利

* ここで示す年は会計年度。
** 気象:日本気象学会,農業気象:日本農業気象学会,建築:日本建築学会,航空:日本航空(宇宙)学会,土木:土木学会,火災:日本火災学会,地震:地震学会,海洋:日本海洋学会,地理:日本地理学会,林:日本林学会,機械:日本機械学会,風工:日本風工学会,水文水資:水文・水資源学会,大気汚染:大気汚染学会,砂丘:日本砂丘学会,沙漠:日本沙漠学会,植物工場:日本植物工場学会,熱帯農学:日本熱帯農学会,農業土木:農業土木学会,雪氷:日本雪氷学会,生物調節:日本生物調節学会,農業農村:農業農村工学会,気候影利:気候影響利用研究会

 この表から推移の時代区分は次のようになろう。
(1) 学会の数は3倍になったが、時代的にはかなり明瞭な段階的、時代的区分が読み取れる。
(2) 最初の約25年間(1954年〜1970年代)は、シンポジゥム設立当時の諸学会が積極的に活動を支えた。1〜2の出入の例外はあるが、このシンポジゥムの効果の展開の時代である。これを第I期と呼ぶ。
(3) 1980年代1990年代は参加学会数・学会名もほとんど変化せず、シンポジゥム充実の時代と言えよう。これを第挟と呼ぶ。
(4) 参加学会名が2001年以降増えた。これは発表者の数、分野が増えたことの反映でなく、研究者の研究環境・情報交換・成果発表の状況が第挟以来、変化したためと考えられる。この時代を第郡と呼ぶ。

各時代の特徴

[第I期]
 戦後のスタートの時代で、急速な発展期は、ほとんど、戦前の研究者によって支えられた。順不同であるが、河田三治(戦前の航空学研究から防風林・砂丘形成など農学的研究に転向)、谷一郎(乱流理論)、塩谷正雄(乱流)、武田京一(乱流)、井上栄一(乱流)、横井鎮男(火災)、亀井幸次郎(火災)、亀井勇(建築)、鈴木清太郎(火災・山越気流・農業気象)、神山恵三(気象)、坂上治郎(乱流)、高橋浩一郎(気象)、荒川秀俊(気象)、谷信輝(風洞実験)、吉野正敏(小気候)、山本良三(農業気象)、田中貞雄(農業気象)、松下清夫(建築)、牧野勤儉(土木)、石崎溌雄(建築)等がほとんど毎回発表した。
 テーマ別には乱流、微気象学的な研究が多かった。その他、耕地の風、地形による風の局地性、建造物と風の問題が報告された。測器・観測方法等も話題になった。
 第I期の末頃になると、学会発表の機会が増え、国内で国際学会が開催されるようになり始めた。特に季節風・台風など大スケールの風や、建造物と風などの小スケールの風の機構は国際シンポジゥムのテーマとして取り上げられ、それが諸外国で開催されるようになった。日本から参加できる人数は非常に限られてはいたが、参加者を通して、『風のシンポジゥム』で情報が入るようになった。例外的ではあるが、1960年代には海外で日本人による風の観測・研究が行われるようになった。例えば、南極大陸における観測、ヨーロッパ(ローヌ河谷の山谷風)における観測・研究結果の報告がシンポジゥムで行われた。

[第挟]
 戦後生まれの研究者が学界の主流を占め、風研究者はもちろんのこと、その活躍の舞台はもはや完全に“戦後”ではなくなった。それぞれの研究分野がより深く究明されるようになって、『“風”に関する。。。』というような漠然としたテーマではなく、より細かいテーマに絞ったシンポジゥムが開催されるようになった。そのため、『風に関するシンポジゥム』の参加学会数は増加せず、報告の内容が充実するだけとなった。
 風工学会は1983年より参加し、以降、シンポジゥム推進に大きな力となった。風の調査・観測・研究・成果刊行などで特に貢献した。
 また、IPCC、IGBP などの国際的な情報交換・共同研究が推進されたこともこの第挟の背景である。第I期にはなかった状況・趨勢である。

[第郡]
 参加学会数は18−19と増えた。これは第挟において、風が関わる大スケール・中スケール・小スケール・微スケール、さらには地域スケール・局地スケールのそれぞれについて、また対象を大気・構造物・農作物等の分類された対象別にシンポジゥムが、各学会で開かれるようになったことの反映であろう。
 第郡に増えた分野は農学関係、沙漠・砂丘などの分野がほとんどで、真木太一(日本学術会議会員、日本農業工学会フェロー)の影響が強い。

欠けていたこと ― 将来に向けて

 第挟、第郡には、すでに第鬼の設立当時の目的は達成されていた。研究者の研究環境は進展し、研究手段・方法もIT時代になり、大型計算機の利用による数値シミュレーションが可能になった。『風に関するシンポジゥム』の目的・役割・効果なども当然変化するはずである。その検討がされていない。『風に関するシンポジゥム』の60年の内容の変遷は日本科学史においても非常に重要な研究興味あるテーマである。
 バイオクリマの立場から見ると、第I期の設立当時には神山恵三(気象)が関わり、紫外線の生気象の発表をした。あるいは伊東彊自(気象)とそのグループが東京とその周辺地域における大気汚染拡散と風との観測結果を発表した。これらは、第供↓郡には続かなかった。生気象・生理生態関係の諸学会が参加していなかったところに問題があったように思う。バイオクリマにおける風の役割・効果などの研究成果がシンポジゥム形式で進展することを切に望みたい。


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