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連載エッセイ [6]
暮らしの中のバイオクリマ
吉野正敏

 
津波と風土心理学
 
風土心理学

 風土心理学または地心理学と言う学問の分野がある。この先達はドイツの心理学者ウィリ・ヘルパッハ(Willy Hellpach) であった。彼はカールスルーエ大学の教授を経て、ハイデルベルク大学の医学部心理学の教授であった。彼が書いた『地心理学的現象』(1913年に第1版、1917年に第2版、1923年に第3版)と言う本は、『風土心理学』という名で、渡辺徹(日本大学教授)によって日本語に訳され、大正4年(1915年)に大日本文明協会から出版された。
 この刊行年代を見ても、風土心理学(地心理学)をドイツから日本はいかに早く輸入したかがわかる。日本は当時、いわゆる“大正ロマン”の時代であった。日本の風景をこよなく愛し、歌に詠み、俳句をものし、少女小説に至るまで、自然に溶け込み、風土にくるまってその情感に浸った。あまりにその傾向が強かったためか、その後、ヘルパッハの『風土心理学』は、日本ではあまり、読まれた形跡がない。例えば、昭和初期の名著、和辻哲郎の『風土』には、心理学的、医学的な考察は弱い。
 ヘルパッハの風土心理学の組み立ては以下のとおりである。
1)天候と精神生活。
 主として、気象要素別に精神活動への影響を考察する。
2)気候と精神生活。
 主として、気候要素別、気候帯別、気候地域(海洋性気候・大陸性気候・山岳気候など)別に精神生活への影響を考察する。
3)精神活性化と気候。
 気候変動と精神生活、地心理学的な気候順化、精神生活と気象要素の日変化・年変化、気候要素の季節変化・長年の変化との関係。4)風土像・景観像・地域像とその特性。
 風土像・景観像・地域像の内容、性質。例えば、像の要素としての色彩・音響・匂い・化学組成などとの関係。

東日本大震災の津波

  今回の大津波によって、岩手県・宮城県・福島県の太平洋沿岸部では大きな被害を受けた。テレビは、そのすさまじい様相を3月11日の午後2時46分の地震発生の直後から全世界に放映した。これは、地上から撮影されたものばかりでなく、上空のヘリコプターから撮影した画像もあった。現象が起きている状況のリアルタイムの画像は臨場感を強くし、視聴者に強いインパクトを全世界の人々に与えた。その津波にのまれて亡くなられた方々、津波からやっとのがれて避難できた方々、家族・親戚・知人・友人を失った方々、被災者の心情を考えると、事態の深刻さは、誰でもこれまで経験したことのない状態であった。
 ところが、大津波の被害を受けた地域を、1週間後でも、1か月後でも、3か月後でも、自分で現地の津波の被害を見た友人は、誰でも、“テレビを見て受けた衝撃と、被害の現地に立って自分の目で見る被害状況から受ける衝撃とは、まったく異なる。”と言った。
 これを聞いて、私は、今回の津波の被害を見て受ける衝撃は、1000年に1度の状況であっても、やはりこの地域特有の問題で、ここの風土心理学(地心理学)の対象であることに気が付いた。もちろん、ヘルパッハは津波の被害跡の例には言及していない。残念ながら、日本に特有の課題である。津波後の生活、すなわち、避難途中、避難所、仮設住宅などにおける行動や生活に、さまざまな心の課題が生じている。日本人として、被災者・災害地域外の者の差を問わず、風土心理学(地心理学)の立場からの解明が必要である。

性別・年齢別の解明

  今回の津波による東北3県の死者数を(表1)に示す。

(表1)東日本大震災による東北3県の男女別・年齢別の死者数*。2012年2月29日。

  岩手県 宮城県 福島県
年齢(歳) 男性 女性 男性 女性 男性 女性

0−9 30 54 170 165 29 18
10−19 41 41 137 147 24 29
20−29 75 53 177 155 25 24
30−39 134 108 275 253 44 33
40−49 165 180 321 348 51 50
50−59 297 308 509 573 103 92
60−69 426 466 900 854 167 129
70−79 550 606 1070 1116 172 233
80以上 400 616 733 1248 156 222

*資料は各県警による。

 この(表1)によると、(1)男性の死者数が女性の死者数を明瞭に上回るのは20〜30歳代である。(2)60歳代または70歳代になると、明らかに女性の死者数が男性の死者数を上回る。(3)80歳代になると、どの県でも明らかに女性の方が死者数が男性より多くなる。そしてどの県でも最大値かそれに次ぐ大きい値を示す。(4)男性が最大値を示すのは70歳代である。
 以上のような特徴を示す原因は、(1)に関しては、20〜30歳代が働き盛りで、沿岸水産業関連の仕事中または作業中、各地域の消防団・水防団などで仕事中、津波に襲われた率が高かったためであろう。(2)〜(4)は女性高齢者の津波認識の甘さ・避難の重要性の認識不足・自力で避難する体力不足などが3月11日の現象であろうが、時間(月日)の経過と共に心理学的原因による死亡が増加するのではなかろうか。高齢被災者の70歳代と80歳代で極大値が男性から女性へ変わるのは、地心理学の見地から、今後の研究課題である。

風土心理の実例

 2011年12月28日の朝日新聞岩手版に、3・11その時そして(255回)の記事があり、新聞記者自身が自分の体験を詳しく記述した記事がある。1部分を紹介すると、「。。。。大船渡魚市場で取材中。揺れの後、岸壁で潮位を見ていた魚市場関係者が“引き波だ。津波が来るぞ。逃げろ”と叫んだ。車で。。。。たどり着いた賀茂公園から市街地を見た。3時半頃、くすんだ色の煙がわき上がった。津波で壊された建物などから上がる土煙だった。がれきと共に無数の屋根が迫ってきた。“大船渡は全滅”と力のない声が漏れた。炎と黒煙が上がった。。。。」 この“力のない声”の描写は、風土心理学の一級資料である。
 あるいは、別のところでの話だが、小学生の下級生を高台に避難させる時、校長先生は学童に“後ろ(津波が襲ってくるところ)を見るな”と急がせ、無事に全員を避難させたと言う。これは津波を見ることによって児童が怖気着いて動けなくなることを防ぐためだったと言う。
 また、岩手県の釜石小学校の場合、朝日新聞(2012年3月7日付け)によると、先生が冬休みの宿題に“津波の思い出を書いてくること。ただし、強制ではなく書きたくない者は書いてこなくてもよい”とした。ところが、実際には、5・6年生は全員45人が提出、4年生は10人、3年生は7人、2年生は3人、1年生は1人だったそうである。これは低学年の児童には津波の心理的インパクトが強いことを物語っている。やはり、詳しい地心理学の解明を待ちたい。
 これらの実例から考えて、大津波の被害現場の風景心理学(地心理学)の立場からの解明は、心理を対象としたバイオクリマの重要な課題である。


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