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連載エッセイ [27]
異常気象を追う
吉野正敏

 
神話と異常気象
 
古代の出雲

 知られているように、古風土記(こふどき)は和銅6年(713年)の政令によって全国から提出された、今日の言葉でいえば、『白書』である。その中で、ほぼ完全な形で残っているのは『出雲風土記』だけである。8世紀初めの詳しい自然・社会・文化が記述されていて、律令制下の実態を知ることができる得難い資料である。
 島根半島とその南側の低地の宍道湖・出雲市・松江市・斐伊川などの位置関係を(図1)に示す。島根半島の北岸は日本海に面し、本州の日本海岸の多数の港との交流基地・朝鮮半島や隠岐などとの海運の基地となる港があった。たとえば、北岸の七類浦には、「船30許り泊つべし」と注があり、北西岸の宇竜(うりょう)浦も「船20許り泊つべし」と言うような記述がある。漁撈に関係があるので、船が停泊できる4か所の「浦」や、34か所の「浜」、79の「島」をあげ、各所の産物をあげている。

(図1)島根半島・宍道湖・出雲市・松江市・斐伊川の位置
 島根半島には海抜400〜500mの山やまが連なり、出雲の国を北ないし北西の強い冬の季節風から守る防壁の役割をはたしている。出雲平野はその風蔭にあたる。
 神話の神の中で、国引の神として知られる八束水臣津野命(やつかみずおみずのみこと)は第一の水神で、意美豆努命(おみずぬのみこと)とも言う。八束水すなわち大量の水を流す神で、斐伊川が大量の水を流出し、上流の土砂を運びだすことに対処した。この神は、今日の言葉で言えば、河川を管理する国土省か建設省の大臣であろうか。また、須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇を征伐し、斐伊川が暴れなくなった話は有名だが、これは斐伊川の治山対策が成功したことを物語ると理解される。事実、斐伊川の中流部の河内郷には約500mの堤防が築かれ、農耕地が整備された。

宍道湖の変化

 縄文時代の中でも、5,000年BP(before present, 現在から前)のころは温暖であった。極地方の氷が解け海面が上昇し、海岸線は内陸に侵入したので、“縄文の海進”とよぶ。島根大学汽水域研究センターを中心とした研究者は、数千年以来の宍道湖や出雲平野の古環境変化を、地質学的な資料・ボーリングコア試料を分析して、精力的に解明を進めている。その結果、海面高度は5,000年BPには標高約1mに達し、4,000年BPにはほぼ0mであった。

Stage 4 4,000年BP(縄文後期)
Stage 5 2,000年BP(弥生時代)
Stage 6 1,200年BP(奈良または風土記時代)
Stage 7   300年BP(江戸時代)
(図2)宍道湖・中海とその周辺における海岸線・湖岸線の時代的変化

(島根大学汽水域研究、5、1998による)

 (図2)のStage 4は4,000年BPの状態で、宍道湖はその西方の神西湖(じんざいこ)とつながっていた。(図2)のStage 5は2,000年BP(弥生時代)の状態で、Stage 6は1,200年BP、奈良または風土記の時代を示す。海面は標高−0.4〜−0.1mに低下した。弥生時代には寒冷期であったので小海退があり、雨が少なく河川を通じて宍道湖内に運搬されてくる土砂も少なかったが、奈良時代から平安時代にかけて(平安の海進と呼ぶ人もいるが)温暖になり、海面はわずかではあるが上昇した。(図2)の最下のStage 7は江戸時代の小氷期と呼ばれる寒冷な時代なので、海面は下がり湖面の面積は縮小した。

出雲大社とその周辺の西風

 宍道湖の西方、現在の斐川町の広い平野部にある農家の築地松(ついじまつ)と呼ぶ防風垣は見事である。斐川の流路が西南西から東北東に向かうので、冬の西風はここではやや南の成分を示す。出雲平野西部に位置する出雲大社の南の地域では真西となる。
 出雲大社は島根半島西端部において、冬の季節風に対して局地的に山の蔭になる位置にあり、また、日本海岸からも近いので、局地気候的には、おそらく山陰地方では最良の地点であろう。
 島根半島の最西端にある出雲日御碕(ひのみさき)灯台の付近は西風がまともにぶつかるので、極めて強い。(写真1)のようにクロマツは偏形度5で、日本国内では最強の偏形度に属する。しかし、この写真をよくみていただきたい。数十m内陸(写真の中央より右の奥の方)では若い20ないし30年の樹齢のクロマツの幹は鉛直に伸び風の影響をしめしていない。すなわち、微地形によって風の状態が急激に変化することを物語っている。

(写真1)日御碕のクロマツの偏形樹。強い西〜西南西の風が吹き付けることを示す。
付近では灌木状のトベラ・ハマヒサカキなども偏形している。(2009年2月4日吉野撮影
 日御碕神社の横で、微地形的に風が加速されるところでは北北西の強風が吹き、クロマツの梢の部分のみ偏形度4〜5になっている。
 このように風の局地性はきわめてシャープである。島根半島・出雲平野・斐川流域の数十kmの空間スケールで見ても、日御碕付近の微地形の例でわかるように、数百mの空間スケールでみても、神話時代の『出雲の国』は、最良の気候条件をとらえ、立地していたと言えよう。

神話時代の異常気象

 出雲の国は、上述のように古代資料が整っており、島根半島の風蔭に位置して局地的に良い気候条件を備え、出雲平野は高い農業生産性を維持できた。大陸との文化・経済交流の基地、日本海沿岸の海運の中継地としての好条件を発展することができた。神話といえども、事実をふまえて語られ、伝えられ、受け入れられてきたのだろうから、神話時代の上記の出雲の自然・社会は、部分的には神話からの推測であっても、ほぼ実態を復元していると思ってよいだろう。
 このような出雲の国に対して、マイナスになる要因は幾つかあろうが、その一つは異常気象による災害であろう。先に、須佐之男命による治水事業の成果を述べたが、その原因は梅雨季の豪雨か台風季の豪雨かわからないが、唯一の災害対策がうかがえる神話である。
 さらに、もう一つ、筆者が考える日本の古代史に果たした異常気象災害の役割は出雲と伊勢の対称である。“出雲は日が沈む国であり日本の夜を治める国であり、伊勢は日が昇る国であり日本の昼を治める国である”と言うような対比した捉え方は神話時代からあるが、実は異常気象災害の発生の対称性を反映している。台風災害にしても、梅雨末期の豪雨災害にしても、日照りによる干ばつにしても、出雲(日本海側)と伊勢(太平洋側)で同じ年に発生することは、現在の気候学の知識では、まずないと思われる。この事は大和政権が律令国家を確立するとき、諸国における災害による疲弊のリスクを分散させる結果となった。出雲と伊勢における異常気象発生の非並行性は、中央政権にはプラスの条件になったとしてもよいのではなかろうか。


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