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連載エッセイ [18]
異常気象を追う
吉野正敏

 
アイスランド低気圧
 
北半球の2大低気圧

 北半球で寒候季の半年間、最も活躍する温帯・寒帯の低気圧の代表は、アイスランド低気圧とアリューシャン低気圧である。後者は、日本付近の代表的冬型の気圧配置、“西高東低”型の東の低気圧がさらに東進してアリューシャンに入る。低気圧の墓場と呼ばれるくらいである。一方、前者のアイスランド低気圧は北部大西洋の低気圧の墓場である。しかし、墓場からは新しく強い低気圧がよみがえって東に進み、北・北西・西ヨーロッパのほぼ全域を支配する。日本ではあまり有名でないが、見逃すことはできない。
 もう少し詳しく説明しよう。冬、北アメリカの東海岸に沿って北上する暖流(メキシコ湾流)は、海面水温が比較的高い。高緯度では冷たい空気が南下し、海面から熱と水蒸気をもらい、アイスランド付近で低気圧を発生させ、また強く発達させる。そして、低気圧は北ヨーロッパ、北西ヨーロッパに向かって東進する。北海は、冬半年この低気圧で風波が高く荒れる。ドイツ人の船乗りは“Nord See-Mord See”(ノルトゼー:モルトゼー、北の海:死の海)と語呂合わせで呼ぶ。
 日本の教科書には、「北ヨーロッパ―北西ヨーロッパ―西ヨーロッパでは、偏西風が大西洋から暖かい空気を運び込み、冬でも気温は下がらない」とよく書いてある。これは間違いではないが、そこで生活している人びとの実感はこんな生易しいものではない。低気圧がきて吹きすさぶ西風でゴウゴウと空は唸り、短時間で曇天・雨天が交代し、これの繰り返しの連日である。北日本の日本海岸や北陸海岸における冬の季節風下の陰うつな天候やすさまじい風の音なども、体験した人でないとわからないが、おそらく北海沿岸のほうがこれよりさらにすさまじいであろう。また、北海沿岸は緯度が高いため夜の時間が長いから、陰うつの程度を助長する。

北海沿岸の風

 われわれ日本人の北海沿岸のイメージは、オランダ海岸地方のチューリップ・ヒヤシンス・水仙など一面の花畑や花の公園、オランダ低湿地の排水・開発に役立った近世の風車群、ドイツ海岸の最近の風力発電計画・最新設計による海中風車群などなどである。イギリス・デンマークなどについても同じく風力発電への期待が大きい。暖候季のどれを考えても、異常気象とは縁遠い風情である。
 ところが、冬の現実は厳しい。東進して北海に入るアイスランド低気圧が台風並みに発達し、北海沿岸に風害・高潮災害・洪水をもたらすことがあるのだ。日本のように毎年台風に見舞われる土地ではないので、かえって被害が深刻になる。
 記録によれば、1362年、1634年、1825年、1884年、1906年、1953年、1962年に発達した低気圧により風波が高まり、高潮が重なってオランダ・ドイツなどの北海沿岸の堤防が決壊し、大災害となった。19世紀より20世紀が、つまり最近になるほど間隔は短くなってきた。20世紀になって、前半が1回、後半で2回である。今後さらに間隔は短くなるであろう。熱帯低気圧の台風とかハリケーンほどの頻度にはならないだろうが、確実に起きるであろう。

1962年の大災害

 上記の大災害のうち、1962年の場合を少し詳しく紹介したい。1962年2月16日夜半から17日朝にかけて風は最も強かったが、その時の堤防決壊箇所の分布は(図1)のとうりである。ニーダーザクセン州のオルデンブルク・ブレーメン付近、ハンブルクからエルベ川の河口付近、シュレスビッヒ・ホルシュタイン州の西海岸に広く分布している。
アメリカ合衆国における2008年6月の洪水
(図1)アイスランド低気圧がもたらした暴風・高潮・高波による
1962年2月16-17日の北海沿岸における堤防決壊場所。

 この付近の海岸線の形を大きく見ると、エルベ川の河口を中心として、北海に向かってラッパ状をなしている。北西の風による海水の吹き寄せの効果が大きくなるような形である。この時の災害のあらましをまとめると(表1)のとうりである。

(表1)1962年2月16-17日のアイスランド低気圧による被害状況

地域または場所 被害状況

ハンブルク市 洪水面積80km2、被害者15.000人
ブレーメン市 洪水面積50km2、被害者550人
ブレーメルハーフェン 堤防決壊を1,000人で防いだ
シュレスビッヒ・ホルシュタイン    破堤10箇所、被害者5,000人以上
北ドイツ全体 堤防の被害総額1,940億円(1962年の為替相場で)
イギリス(地点名は不明) 瞬間最大風速78.7m/s(非公式)、死者12人
デンマーク 死者6人
フランス 死者2人
東ドイツ(当時) 死者2人

(注:データの出所は種々、非公式のものが多い)


1962年2月15-17日のアイスランド低気圧の挙動


1962年2月15日

1962年2月16日

1962年2月17日

(図2)1962年2月15日(上)、2月16日(中)、2月17日(下)
の北大西洋・ヨーロッパの天気図
 1962年15日から17日までの天気図を(図2)(上)(中)(下)に示す。(上)2月15日7時アイスランド付近に980hPaの低気圧があり、アゾレス高気圧は1045hPaで西ヨーロッパに張り出している。冬のこの時期としてはめずらしくない気圧配置である。
 ところが(図2)(中)に見るように2月16日7時には、アイスランド低気圧は東南東に移動してノールウェイ西海岸に接近し、955hPaにまで深まった。アゾレス高気圧は東に延びてウクライナ西部にまで達した。このため、北西ヨーロッパの気圧傾度は非常に急になり、風速は20m/s、ところによっては、23-24m/sの西風となった。問題のエルベ川河口付近では12-18m/sの西ないし西南西の風が吹いている。寒冷前線通過後は20m/s以上の西ないし北西の風となった。
 風速が最大になった15-20時でシルト島や東フリージア諸島では北西の26-28m/sの風を観測した。日本では台風が来れば30-40m/sの風はごくあたりまえで、あまり驚かないが、この地方にとっては極めて異常な強風であった。
 災害が起こった2月17日朝7時の天気図を(図2)(下)に示す。アイスランド低気圧はスカンジナビア半島中部を横断し、バルト海の奥、ストックホルムの南東に来た。勢力は弱まり960hPaになった。一方、アゾレス高気圧は大西洋上で形が丸くなり、北ヨーロッパ・西ヨーロッパ・東ヨーロッパのほとんどがアイスランド低気圧の影響下に入った。問題の北海沿岸は7時には15m/sであるが、前日の午後からの最大平均風速は22-25m/sであった。また、17日0時10分にはエルベ川の水位は平均より4m高く、今回の記録値であった。
 ここで留意したいのは、このようなアイスランド低気圧襲来による一連の天候変化は、2月12-13日にも起こっており、また、その後の2月19-20日にも起きていたことである。3-4日の見事な周期であった。ただ、前と後の場合は、風向が僅かずれていたり、最大風速の出現時刻と満潮時刻がずれていたりして、大災害にはならず、16-17日に大きな被害となったのである。もともと、この海岸は干満の差が非常に大きいところなので、その影響は大きい。
 なお、気象学者・気候学者はアイスランド低気圧と呼んではいるが、ドイツの土地の人はオルカーン(Orkan, 激風または嵐のこと)と固有名詞をつけずに呼ぶのが普通である。日本人が“台風が来た”というのと同じ表現である。

シュトルム

 テオドール・シュトルム(Theodor Storm, 1817-1888)の小説を日本人は好む。彼はシュレスビッヒ・ホルシュタイン州の西海岸の中心都市フーズムで生まれ、ここで活躍した。Stormを英語読みにするとまさにアイスランド低気圧そのものであるが、英語のStormはドイツ語ではSturmである。シュトルム家の先祖がイングランドからフーズムへ移住して家名はそのまま残したというなら私はうれしくなるが、どうもそう勝手な想像は許されないようである。
 それはともかく、彼が1888年に発表した有名な小説「白馬の騎手」には、“。。。。10月には嵐がきて決壊が始まる前に。。。。堤防を改修したり、波の力をそぐための堤防を造ったり。。。。」などの文章がある。東欧の伝説を北海沿岸の村に移し、頑迷な大衆、迷信、北の海など、個人の力を超えた力との戦いを画いたとされている。やはり、アイスランド低気圧が活動する冬の北海沿岸でなければ生まれない小説であろう。


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